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前橋地方裁判所高崎支部 昭和62年(ワ)311号 判決 1991年3月22日

原告

柳沢正

福田民雄

坂庭稔

田淵勝美

近江利幸

大井一幸

柳井剛

金子洋

生方千平

丸山忠伸

南雲浩幸

右原告ら訴訟代理人弁護士

角田義一

出牛徹郎

若月家光

高野典子

山田謙治

藤倉眞

白井巧一

采女英幸

内藤隆

前田裕司

被告

東日本旅客鉄道株式会社

右代表者代表取締役

住田正二

東日本旅客鉄道株式会社高崎運行部内

原山清己

右被告ら訴訟代理人弁護士

鵜澤秀行

主文

一  被告東日本旅客鉄道株式会社の原告らに対する別紙処分目録記載の各処分がいずれも無効であることを確認する。

二  被告東日本旅客鉄道株式会社は、原告柳沢正に対し、金二〇万円及びこれに対する昭和六二年一一月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告柳沢正のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを五分し、その一を原告柳沢正の負担とし、その余は被告東日本旅客鉄道株式会社の負担とする。

事実及び理由

第一原告らの請求

一  主文一項同旨

二  被告らは各自、原告柳沢正に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和六二年一一月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  第二項につき仮執行宣言

第二事案の概要

(争いのない事実)

一  当事者

1 原告らは、いずれも被告東日本旅客鉄道株式会社の従業員であり、後記本件行為当事、同従業員らで組織する国鉄労働組合(以下「国労」という。)高崎地方本部(以下「高崎地本」という。)の高操支部高崎運転所分会(昭和六二年一二月以降「高崎西部分会高崎運転所班」に改組。以下「運転所分会」という。)に所属していた労働組合員である。

2(一) 被告東日本旅客鉄道株式会社(以下「被告会社」という。)は、東北及び関東地方において日本国有鉄道が経営していた旅客鉄道事業を引き継ぎ、昭和六二年四月一日に設立された株式会社である。

(二) 被告原山清己(以下「被告原山」という。)は、後記本件処分当時、被告会社高崎運行部(以下「高崎運行部」という。)の部長の地位にあり、本件処分を発令した者である(昭和六三年四月一日以降は高崎支社長)。

二  本件行為

昭和六二年一〇月八日午後六時すぎころ、高崎運行部の高崎運転所(以下「高崎運転所」という。)の三階事務室において同所事務助役山崎順二(以下「山崎助役」という。)が電話応対中、原告福田民雄(以下「原告福田」という。)ら一〇数名が入ってきて、ちょうど同室に戻ってきた同所首席助役猪瀬憲一(以下「猪瀬助役」という。)に対し、団体交渉の申入れを行った。猪瀬助役が、高崎運行部の指示で話合いはできない旨を告げると、原告福田らは「われわれは交渉する権利がある。」旨を述べた上、高崎運転所長西澤正訓宛の「申し入れ書」と題する書面を猪瀬助役に渡そうとして、受取を拒む同助役との間で押し問答をした後、六時三二分ころ、右書面を山崎助役の机の上に置いて引き上げた。(以下「本件行為」という。本件行為に、原告柳沢正が参加していたかどうかについては、後記のとおり争いがある。)

三  本件処分

被告会社は、昭和六二年一一月二日、高崎運行部長原山清己名で次の措置をとった。

1 原告福田に対し、「昭和六二年一〇月八日一八時頃、高崎運転所事務室内に無断で立ち入り、再三にわたる退去通告にも従わず、さらに話し合いを拒否した首席助役を誹謗したことは、JR社員としての自覚に欠けており誠に遺憾である。よって、今後かかることのないよう訓告する。」旨の訓告

2 その余の原告らに対し、それぞれ「昭和六二年一〇月八日一八時頃、高崎運転所事務室内に無断で立ち入り、再三にわたる退去通告にも従わなかったことは、JR社員としての自覚に欠けており誠に遺憾である。よって、今後かかることのないよう厳重注意する。」旨の厳重注意

(争点)

1  確認の利益はあるか(本案前の争点)

被告らは、本件の訓告、厳重注意は、いずれも被告会社の就業規則上の懲戒処分ではなく、原告らの非を諭して反省を促し、将来を戒めるために行った事実行為であること、また、次のとおり、本件処分の無効を確認しても、雇用関係上の利益には影響を及ぼさないこと等に照らして、本件処分の無効確認を求める利益はない旨主張する。

(一) 訓告による不利益について

(1) 期末手当について

被告会社の賃金規程一四五条三項(証拠略)では、訓告を受けた者は期末手当を五パーセント減額されることになっており、原告福田は、昭和六二年一二月期の期末手当が五パーセント減額されているが、これは同原告が調査期間中(昭和六二年六月一日から同年一一月三〇日まで)に三回訓告を受けたからであって、仮に本件訓告の無効を確認したとしても、二回の訓告を受けた事実がある限り期末手当の減額が解消されるものではない。

(2) 昇給について

被告会社の賃金規程二四条別表第8では、訓告を二回以上受けた者は、昇給号俸の四分の一を減ぜられることになっている。原告福田は前記のとおり昭和六二年度中に三回訓告を受けているのであるから、仮に本件訓告が無効と判断されたとしても、昇給欠格事由がなくなるわけではない。

(3) 昇進について

被告会社における昇進は、試験を実施し、社員としての自覚等と試験成績等の人事考課に基づき、公正に判断して行われている。被告会社の昇進基準一五条二号(証拠略)では、前年度からその年の受験日までの間に、訓告を含む懲戒処分を受けた者は、その年の昇進試験の受験資格を失うが、受験資格が永久になくなるものではない。

(二) 厳重注意による不利益について

(1) 期末手当について

被告会社の賃金規程一四五条三項では、勤務成績が良好でない者も期末手当を五パーセント減額されることになっており、原告福田、坂庭を除くその余の原告らはいずれも昭和六二年一二月期の期末手当が五パーセント減額されている(坂庭の減額は一三パーセント。(証拠略))。その理由は、次のとおりである。原告田淵、金子は訓告を一回受け、柳井、南雲、柳沢は本件以外の厳重注意を二回受けており、近江、丸山、生方、大井は本件以外の厳重注意を一回受けている。このように、原告らは本件以外にも訓告や厳重注意を受けていることに、日常の勤務成績を総合して、勤務成績が良好でないと判断されたのであって、本件厳重注意の無効を確認したからといって、直ちに期末手当の減額が解消されるものではない。

(2) 昇給について

被告会社の賃金規程二四条別表第8では、厳重注意を受けたこと自体は、昇給の欠格事由とはなっていない。現に、原告らのうち、二回ないし三回厳重注意を受けている者があるが、昭和六三年度四月期の昇給において減号されていないものがあること(証拠略)からも明らかである。

2  本件処分の無効原因の有無

(一) 本件行為は正当な団体交渉の申入れ行為か

原告らは、<1>運転所分会は、高崎地本の規約(証拠略)及び運転所分会の規約(証拠略)によって、現場で団体交渉を行う権限が与えられ、高崎地本も現場で交渉するように指導していたこと、<2>従前から、本件行為と同じ態様で高崎運転所長に対する団体交渉の申入れを行っていたこと、<3>原告らの所属する高崎運転所貨車解体班の職場環境は他の職場と比較して不十分で、早急に団体交渉をする必要があったが、当時の高崎運行部と高崎地本との交渉においては、これについて実質的な交渉をする余裕がなく、運転所分会としては職場交渉をする必要性が高かったこと及び本件行為が労働協約失効後であることに照らせば、本件行為は正当な団体交渉の申入れ行為であり、本件処分は正当な組合活動自体を理由とする不利益処分であるから、不当労働行為(労組法七条一号)に該当し、無効である旨主張する。

被告らは、<1>被告会社と国労東日本本部との間で昭和六二年四月二三日に締結された労働協約三二条(証拠略)において、地方における団体交渉の設置単位として高崎運行部が指定されており、高崎運行部管内の一現業機関である高崎運転所には団体交渉を行う権限はなかったこと、右労働協約は昭和六二年九月三〇日に有効期限が切れ無協約状態となったが、被告会社は高崎運行部長名で高崎地本に対し、同年一〇月一日付けの文書(証拠略)をもって、労働協約以外の労使間の問題処理については本社及び高崎運行部において従来どおりの担当箇所を窓口として対応する用意がある旨連絡していたことを併せ考えると、本件行為当時においても、従前の協約どおり高崎運行部を交渉単位とするのが合理的であったこと、<2>従前から、二、三名の代表が事務室に入って回答を求めたり、高崎運転所長が、交渉権限がない旨を断った上で組合員としてでなく部下職員として説明を受けたことはあったが、原告らが多数で高崎運転所の事務室に押しかけたのは今回が初めてであること、<3>貨車解体班の労働条件については、高崎運行部と高崎地本との間で団体交渉を実施しており、現に、本件行為時に原告らが猪瀬助役に受取を強要した申し入れ書のうち、現場の労働条件に関する要求事項については、その後、高崎運行部と高崎地本との団体交渉で討議されていること等に照らして、高崎運転所が運転所分会からの職場交渉に応じなければならない義務はなく、したがって、原告らの本件行為は、正当な団体交渉の申入れ行為とはいえず、免責の対象とはならない旨主張する。

(二) 本件処分の事由に事実誤認はないか原告らは、

(1) そもそも原告柳沢は本件行為に参加していなかったこと

(2) 本件処分の理由とされている「事務室内に無断で立ち入った」事実、「再三にわたる退去通告に従わなかった」事実及び「原告福田が首席助役を誹謗した」事実はいずれも存在しなかったこと

に照らして、本件行為が正当な団体交渉の申入れ行為であるか否かを検討するまでもなく、原告らに対する本件処分はいずれも処分理由の存在しない無効なものである旨主張する。

3  原告柳沢に対する不法行為の成否

原告柳沢は、自分は本件行為に参加していなかったにもかかわらず、本件処分を受けたことにより多大の精神的苦痛を受け、これを金銭評価するならば一〇〇万円を下らないこと、本件処分を発令したことにつき、被告会社及び被告原山が不法行為責任を負うべきであることを主張する。

第三争点に対する判断

一  確認の利益について

1  訓告及び厳重注意の性質

まず、訓告及び厳重注意の性質について検討するに、被告会社の就業規則(証拠略)は、懲戒の種類として、懲戒解雇、諭旨解雇、出勤停止、減給、戒告の五種類を掲げた上、「懲戒を行う程度に至らないものは訓告する。」旨規定して、訓告を懲戒処分とは区別していること及び厳重注意については、就業規則に規程がなく、訓告に至らないものについて、将来を戒めるために発令されるもの(人証略)とされ、やはり懲戒処分とはされていないことが、それぞれ認められる。しかし、他方、関係各証拠(項目別に掲記)及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

(一) 期末手当における不利益

被告会社の賃金規程(証拠略)には、調査期間内(年末手当については六月一日から一一月三〇日まで)に訓告等のあった者及び「勤務成績が良好でない者」等について、期末手当が五パーセント減額されると規定されている。厳重注意を受けたことから直ちに、右の「勤務成績が良好でない者」と判断されるわけではないが、勤務成績面でのマイナスの一要素とされる(人証略)。なお、原告らのうち、近江、大井、生方、丸山の四名は、同じ調査期間内に本件を含めて各二回の厳重注意を受けたにとどまるが、大井を除く三名は昭和六二年の年末手当が五パーセント減額された(証拠略)。

(二) 昇給における不利益

被告会社の前記賃金規程においては、社員は原則として一年間に四号俸昇給するが、昇給所要期間(一年度)に訓告が二回以上ある者及び「勤務成績が特に良好でない者」については、所定昇給号俸の四分の一(すなわち原則として一号俸)の昇給が減じられる。厳重注意そのものが右の昇給欠格事由に直接影響するとの規程はないが、勤務成績を総合的に判断して、右の「勤務成績が特に良好でない者」に該当するか否かを評価する際、そのような措置がなされたことがマイナス要因になる(人証略)。もっとも、原告らのうち、柳沢、近江、大井、生方、丸山及び南雲の六名については、柳沢と南雲が本件を含めて各三回、近江、大井、生方、丸山が各二回の厳重注意を同じ昇給期間内に受けたが、昭和六三年四月の昇給では減号されなかった(証拠略)。

(三) 昇進その他における不利益

訓告については、被告会社の昇進基準(証拠略)には、「前年度から受験日までの間に、懲戒処分(訓告を含む。)……のあった者」は昇進試験を受験できず(一五条二号)、「昇進発令日までの間に、懲戒処分(訓告を含む。)……があった者」は昇進試験の合格が取り消される旨(二一条一号)の各規定がある。もっとも、訓告による昇進試験の受験資格の欠格は、前年度から受験日までの訓告に限られるから(証拠略)、本件訓告による欠格は昭和六三年度の昇進試験で解消している。

また、右昇進基準四条に照らすと、被告会社における昇進や配置転換については、試験成績だけではなく、執務態度、協調性等の人事考課に基づいて行われると考えられるが、この人事考課には、現場長ないし担当助役が作成する人事管理台帳(証拠略)と社員管理台帳(証拠略)が判断資料とされる(人証略)。そして、人事管理台帳の記入要領には、同台帳の給与実績欄に、定期昇給で減俸された場合にはその事由、期末手当に減額をされた場合にはその率と事由をそれぞれ記載するように指示されているし、賞罰欄には、訓告や厳重注意も記載するように特に指示されている(証拠・人証略)。なお、右記入要領によれば、国鉄時代の記載内容のいくつかが被告会社の人事管理台帳に引き継がれていると認められるが、国鉄時代の「職員管理調書」においては、「特記事項」として、停職、減給、戒告と並んで訓告と厳重注意を受けた回数が記入されていると認められる(証拠略)。

以上を総合すると、被告会社の人事考課において、訓告には、懲戒処分に準じる制裁的性質が与えられているというべきであり、厳重注意についても、直ちに訓告のような制裁的効果が生じるものではないが、人事考課上、確実にマイナス要素として考慮されるという意味では、やはり不利益措置としての性質を有するものと認められるから、いずれの処分も単に将来を戒めるという指導監督上の事実行為にとどまるものではないと解するのが相当である。

なお、被告らは、原告らは昭和六二年度に本件処分以外にも訓告や厳重注意を受け、本件処分の無効を確認したとしても、なお減額や昇給欠格の事由が残る以上、原告らに生じた手当の減額や昇給減の効果は左右されず、結局、本件処分の無効を確認する法律上の利益がない旨主張する。確かに、原告らは、いずれも本件処分以外に訓告ないし厳重注意を受けており(証拠略)、本件処分を無効としても、勤務成績を総合すれば、手当の減額事由や昇給欠格事由が解消されることはないとも考えられる(人証略)。また、勤務成績が手当や昇給に及ぼす影響は、当該年度の手当及び翌年四月の昇給限りのものであって、それが翌々年度以降まで影響を及ぼすことはない(人証略)とすると、少なくとも、手当の減額や昇給欠格については、すでに本件処分の効果は消滅しており、原告らには、その無効を確認する法律上の利益がないとも考えられる。

しかし、前記のとおり、昇進等の人事考課上の資料となる人事管理台帳には、本件処分が記載されていると認められることを考えると、本件処分を受けたという事実自体が、当該年度だけでなく、将来における人事考課においても、何らかの影響を与えると考えるのが合理的である。そして、右の影響は、現在及び将来の原告らの法的地位を左右するものであるから、本件処分の効力を確定することは、原告らの現在及び将来の労働契約上の派生的な紛争を解決することにほかならず、原告らには、本件処分の効力を争う法律上の利益があるというべきである。

二  本件処分に至る経緯

関係各証拠(項目別に掲記)及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

1  高崎運行部及び高崎運転所の組織

高崎運行部(昭和六三年四月一日以降は高崎支社)は、被告会社の設立に伴って旧国鉄高崎鉄道管理局を承継した事業体で、職員約四五〇〇人を擁し、(証拠略)、被告会社の群馬県、栃木県西部、埼玉県北部の鉄道各線を管轄し、各駅、運転所、電車区、保線区、電力区等の一三二(駅員無配置駅三五を含む。)の現業機関とこれを統括する総務課、運輸課、工務課等によって構成されている(証拠・人証略)。

高崎運転所は、高崎運行部の現業機関の一つであり、高崎線、八高線、上越線、吾妻線についての車両の保守・修繕の外、八高線と足尾線の気動車の運転等を受け持ち、昭和六二年一〇月一日現在、職制である運転所長以下二七〇名余の職員を擁していた(証拠・人証略)。

2  原告らの地位

福田を除く原告ら一〇名は、本件当時、高崎運転所貨車解体技術班(以下「貨車解体班」という。)に所属し(証拠略)、ガスバーナーで貨車を切断・解体する等の作業に従事していたが、その職場は、高崎運転所の本所庁舎から一・五キロメートル東方の高崎操作場内にある屋外の解体作業現場であり、その詰所も同操作場内に置かれていたから(証拠略)、日常の業務においては高崎運転所の他の職員と接しにくい環境にあった。なお、現在は貨車解体の作業はすでに終わり、原告らは高崎運転所の別の業務に従事している(人証略)。

原告福田は、昭和六二年三月一〇日に貨車解体班に配属されたが、後記のとおり同月三〇日に国労高崎地本高崎運転所分会を結成した直後の同年四月二三日に、高崎運転所と並ぶ現業機関の一つである横川運転区に配属替えとなり、同区で便所・洗面所の清掃と雑作業に従事し、詰所も同区の他の職員とは区別されていた(証拠略)。

3  高崎地本及び高崎運転所分会の組織

高崎地本は、高崎運行部に対応する国労の下部組織であるが、同運行部に勤務する国労組合員約一〇五〇名(証拠略)で組織され、独自の規約を持って、単位組織組合に準じる機能を有する労働組合であり(証拠略)、本件当時、下部組織として運転所分会を含む三五分会を擁していた(人証略)。

運転所分会は、昭和六二年三月三〇日に、高崎運転所に対応するものとして、当時貨車解体班に配属されていた原告福田が運転所分会長となり、高崎地本の運転所分会として結成されたが、本件当時の所属組合員は、高崎運転所の本所に勤務する国労組合員二〇名と横川運転区に転出した原告福田及び他一名の合計二二名であった。高崎運転所の本所勤務の国労組合員二〇名全員が貨車解体班に配属され(証拠略)、同班には、右二〇名の外は、全動労及び動労連帯の組合員各一名が配属されていただけであったから(証拠・人証略)、運転所分会の実質は、高崎運転所の中で他の職場から孤立していた貨車解体班の職場分会の性質を持つものであった。

4  本件行為の背景となった労使関係

(一) 昭和六二年四月一日に被告会社が発足した直後の暫定協定を経て、同年四月二三日、被告会社と国労東日本本部(以下「国労本部」という。)との間で労働協約が締結された((証拠・人証略)。以下「旧協約」という。)。

(二) 旧協約が昭和六二年九月三〇日に期限切れになるのを控え、国労本部は、無協約状態においては、協約によって制限されていた事業所単位の団体交渉が可能になるとの見解に立ち(証拠略)、高崎地本もこの方針に基づいて同年九月二二日付けで各分会に対し、一〇月一日、現場長に対する職場の改善要求を中心とする交渉申入れを行い、その際、国労の八項目の統一要求とともに職場実態に合わせた内容の要求をするよう指令し(証拠・人証略)、本件行為はこの指令に基づいて行われた(証拠略)。

(四) これに対して、高崎運行部では、従前、高崎運行部と高崎地本との間で団体交渉を行ってきた経緯からみて、旧協約失効後も、職場交渉の必要はないとの考えに立ち、労働協約失効後に組合側が分会単位の交渉を要求してきた場合には、拒否するよう現場長に指導し、猪瀬助役らが本件行為に際し、原告福田らとの話合いや申し入れ書の受取を拒否したのはこれに従ったものである(証拠・人証略)。

(五) なお、被告会社と国労本部との間では、翌昭和六三年一一月二八日に新労働協約が締結された(証拠略)。

三  不当労働行為の成否(本件処分の無効原因の1)

原告らは、本件行為が正当な団体交渉の申入れ行為であることを前提に、本件処分は、かかる労働組合の正当な行為を理由としてなされた不利益な取扱いであるから、不当労働行為(労組法七条一号)に該当し無効である旨主張する。確かに、運転所分会は独自の規約を持ち(証拠略)、高崎地本の組合規約上、団体交渉権限が与えられていること(証拠略)は、原告ら主張のとおりであるし、本件行為に際し、原告福田らが持参した申し入れ書には、貨車解体班の設備に関する具体的な要求が含まれていたと認められるが(証拠略)、右事実から直ちに、運転所分会の団体交渉の申入れが正当なものとなるものではなく、円滑な団体交渉の実現という労働組合法の理想に基づく合理的な制約を受けるものと解される。そして、前記のとおり、労使間の交渉ルールを規定する労働協約が存在しなかった本件においては、従前の団体交渉において労使間で形成されていた慣行的事実が合理的制約の根拠となりうるので、この点を検討する必要がある。

1  団体交渉についての慣行的事実

関係各証拠(項目別に掲記)及び弁論の全趣旨によれば、つぎの事実が認められる。

(一) 旧協約(証拠略)においては、地方における団体交渉の設置単位として高崎運行部が指定され(三二条)、交渉担当者につき、「会社を代表する交渉委員は会社が、組合を代表する交渉委員は組合が、それぞれ対応の機関ごとに指名する。」(三六条)との規定に基づき、昭和六二年五月までに、高崎運行部から国労担当の会社側交渉委員として三名が(証拠・人証略)、高崎地本からも組合側の交渉委員三名が(証拠・人証略)それぞれ指名された。高崎運行部は高崎運転所長らの現場長に対し、現業機関の職制には団体交渉に応ずる権限は与えられていないので、組合の下部機関からの職場交渉の申入れに応じてはならず、高崎運行部と高崎地本との団体交渉に委ねるように指導していた(人証略)。

(二) しかし、組合員の配置転換や出向の問題のような労使関係一般の問題について、高崎運行部と高崎地本が対立して、昭和六二年六月三〇日まで団体交渉が開始されず(人証略)、団体交渉開始後も労使関係一般の問題について交渉をすることに追われて、現場の労働条件を具体的に交渉する時期が遅れ、運転所分会の労働条件が交渉事項となったのは同年九月一一日の団体交渉が最初であった(証拠・人証略)。

当時の団体交渉は、高崎地本が交渉事項を書面で高崎運行部に提出し、高崎運行部は予め用意した回答を団体交渉の場で伝えるという方法がとられたため、団体交渉の場で具体的な話合いを行って問題を解決するものではなかったが(人証略)、高崎運行部では、申入れのあった交渉事項について現場長の意見をきくなどの打合せを行った上で回答を用意していた(人証略)。

(三) 貨車解体班は、新会社発足後の新しい職場であったため施設の整備が不十分であったり、不慣れな労働のためにけがが多かった上(証拠略)、夏以降、ガスバーナーで貨車を細かく解体して業者に引き渡す仕事が開始されることになり、作業に危険が伴うため、作業マニュアルを緊急に作成する必要があるなどの問題があったところ(証拠略)、高崎地本は、<1>前記のとおり、当初、現場の労働条件について交渉できない状態であったこと、<2>個々の労働条件についての交渉が開始された後も、高崎運行部が交渉事項を回答する際に現場長の判断を重視していたため、現場長に問題点を理解させる必要があることなどの理由から、現場の労働条件についての問題は、現場で話し合い、そこで解決できない問題だけを高崎地本に交渉テーマとして上げるように指導していた(人証略)。

(四) 右の高崎地本の指導に基づいて、運転所分会が、本件に至るまでの間に、現場の具体的な問題について現場長(高崎運転所長又は担当助役)と行った話合いの主なものは次のとおりである(日時は昭和六二年)。

(1) 組合掲示板について

五月一三日、午後六時から六時三〇分まで、原告坂庭、全動労の冨沢善雄及び動労連帯の岡田広宣の三名が、高崎運転所の所長室で所長と猪瀬助役に会い、貨車解体班の職場等に組合掲示板及び情報綴りを許可するよう申入れ、その旨を記載した高崎運転所長宛の「申し入れ書」(運転所分会原告福田及び右冨沢・岡田の名義。(証拠略)。宛名は以下の「申し入れ書」も同じ。)を渡そうとしたが、当時すでに高崎運行部が掲示板の設置を予定しているという理由で返された(証拠略)。

その後、貨車解体班の職場で担当助役に対して、数回同旨の申入れをした後、六月九日の勤務終了後、原告福田、坂庭、近江の三名が所長室で所長に会い、他組合には組合掲示板が供与されたのに国労運転所分会には供与がない旨の「申し入れ書」(運転所分会長原告福田名義。(証拠略))を提出し(証拠略)、六月一八日、高崎運転所長西沢正訓名で右許可がおりた(証拠略)。

(2) 傷害事故発生時の連絡方法について

七月八日の業務中、ハンマーをふっていた運転所分会組合員が、背中の筋肉がつっぱって苦しみ病院にかつぎ込まれるという事故が発生したため、翌朝の点呼の際、原告坂庭と田淵が現場で担当の田口・玉田両助役と話合い、連絡網を作成してもらった(証拠略)。

(3) 貨車解体作業の安全対策について

八月一一日、午後六時から五分間、原告坂庭が所長室で所長に会い、車体切断の際に発生する粉塵、有毒ガスの対策や解体作業手順を示すこと等を求める「申し入れ書」(運転所分会長原告福田及び前記冨沢・岡田名義。)を提出したところ、九月四日に担当の田口助役から、作業手順のマニュアルが示された(証拠略)。

なお、右申入れ書の内容については、八月一七日に高崎地本から高崎運行部に対し、同内容の団体交渉の申入れを行い(証拠略)、九月一一日の団体交渉の場で高崎運行部から、粉塵等の対策として保護具等の対応を検討していること、作業マニュアルを定め現地において周知を図る等の回答があったが(証拠略)、同回答は現場で作業マニュアルが示された後であった。

(4) 現場の諸設備について

九月一日、午後六時から四〇分間、原告坂庭、近江、田淵及び前記冨沢・岡田の五名が所長室で所長に会い、炎天下に高圧の火炎を使用することから作業現場に屋根を設備すること、現場の床面の段差を緩和するとともに不燃性の物とすること及び現場詰所の改造等を求める「申し入れ書」(運転所分会長原告福田及び前記冨沢・岡田名義。(証拠略))を提出した。その際、更に、詰所のロッカーを増配備することなど五項目について口頭で話合いを行ったが、その後、ロッカーが増配備された(証拠略)。

なお、右申入れ書の内容については、九月二日に高崎地本から高崎運行部に対し、同内容の団体交渉の申入れを行い(証拠略)、九月一一日の団体交渉の場で高崎運行部から、現場の屋根については解体時のクレーンの吊り上げに支障をきたすことなどから設置が困難であること、段差の解消については検討中であること、床面の不燃化については散水ホースと消火器を配備することで対処すること、詰所については照明、トイレを一部整備し蛇口の増設については検討中であること等の回答があったが(証拠略)、九月一日に現場で口頭で話し合った詰所のロッカーの増配備等については右交渉のテーマとはならないまま解決された(証拠略)。

(5) 九月一一日の勤務終了後、原告福田、坂庭、近江、田淵の四名が所長室で所長に会い、貨車解体班詰所から現場詰所へ行く通路を整備すること、作業現場に屋外証明設備を設けること等を求める「申し入れ書」(運転所分会長原告福田及び前記冨沢・岡田名義。(証拠略))と、現場詰所の改造についての五点の具体的な要求を記載した書面を別紙として提出した(証拠略)。

右申入れ書の内容(別紙の内容を除く)については、九月二一日に高崎地本から高崎運行部に対し、団体交渉の申入れを行い(証拠略)、九月三〇日の団体交渉の場で高崎運行部から、通路については現行のまま対応されたいが、今後必要があれば処置すること、照明設備については手配する等の回答があったが(証拠略)、その後、通路については現場の担当助役の指示で、貨車解体班の方で歩行路を作って解決した(証拠略)。

また、現場詰所の改造については、高崎地本からは団体交渉のテーマとして申入れはしなかったが、原告ら四名の高崎運転所長に対する右申入れによって、水道栓の増設や個人用ロッカーの配備等が実現されたし、詰所の間仕切りの変更と棚の設置は担当助役の承諾を得て組合側で行った(証拠略)。

(以上(1)ないし(5)につき(証拠略))

(五) 以上の現場における話合いは、原告らから高崎運転所長に対し、事前に連絡する場合としない場合があり(証拠略)、所長は原告らと会う際は、団体交渉としての話合いはできないことを断った上で、社員の要望として原告らの申入れ書についての説明を聞くにとどまり、原告らも団体交渉の申入れと称するものの高崎運転所長に苦情を説明し、申入れ書を置いていくにとどめていたと認められる(証拠・人証略)。なお、原告らの置いていった申入れ書は、そのつど高崎運転所長や猪瀬助役らが高崎運転所に上げていたと認められる。

(六) まとめ

以上認定の経緯に、高崎地本は旧協約下では職場交渉ができないとの見解に立っていたと認められること(証拠略)、原告らの高崎運転所長に対する申入れの多くは、他労組の組合員である前記冨沢及び岡田も連名で行っていること(前記二3によれば、右冨沢・岡田の二名は貨車解体班に勤務していたと推認される。)等を併せ考えると、原告らが高崎運転所長に面会して「申し入れ書」を提出し、現場の問題を口頭で説明することは、正規の団体交渉の申入れ行為ではなく、高崎運転所長に現場の問題を把握してもらうための事実上の話合いというべきであって、この話合いの内容によっては高崎運転所長が直接高崎運行部に上申して設備等の配備が実現することもあり、また、高崎運行部と高崎地本との団体交渉で高崎運行部側が回答を用意する際に、高崎運転所長の意見として反映されることもあったとみるべきである。

2  従前の慣行的事実の合理性

以上のように、高崎地本と高崎運行部の団体交渉とは別に、原告らが現場長である高崎運転所長と事実上の話合いを行ってきたことは、団体交渉の窓口を一本化して二重交渉を防ぐという被告会社の企業運営上の必要性と、場所的に孤立していた貨車解体班の労働環境の問題を団体交渉に反映させるという運転所分会の組合活動上の必要性とを調和させる工夫として形成された慣行的事実とみることができ、右のような観点から合理性を認めることができる((人証略)も、現場の具体的な問題点の把握のためには社員の意見を聞くことが必要であることを認める。)。したがって、双方の事情に変更がない限り、労働協約の失効後においても、労使双方が右慣行に従わなければならないという制約を受けるものというべきである。

ところで、本件行為は、前記二4(二)認定のとおり、運転所分会が、労働協約失効後は職場交渉が可能になるとの見解の下に、従前の慣行的事実から一歩踏み出して高崎運転所長に対する正規の団体交渉の申入れを行ったものであるが、右のとおり、本件行為当時、すでに高崎地本と高崎運行部との団体交渉は軌道にのり、貨車解体班の労働条件について、九月一一日と同月三〇日の二回の団体交渉で高崎運行部側の回答が示され、環境の一部改善が行われていたことに照らしてみれば、本件当時、従前の慣行を変更して、職場交渉を行う必要性があったとは認めがたい。

また、前記1の経緯に照らすと、運転所分会の活動は高崎地本に依存するものであって、運転所分会の組合組織としての独自性は弱いものであったと考えられるし、旧協約の失効後の労使間の問題処理については高崎運行部において従来どおり対応する用意がある旨を、高崎運行部が高崎地本に通知し(証拠略)、現に本件行為で原告らが交渉事項として要求したテーマは、昭和六二年一一月二六日の高崎地本と高崎運行部との団体交渉事項となっていたこと(証拠略)を併せ考えると、前記の組合規約の規定があるからといって、旧協約の失効により、直ちに運転所分会の団体交渉の申入れが正当なものになるとは解されない。

3  結論

以上によれば、本件行為は、従前の慣行的事実を踏み出した正規の団体交渉としての申入れであった点で正当な組合活動とはいえないから、その正当であることを前提として、本件処分が不当労働行為(労組法七条一号)に当たるとする原告らの主張は採用できない。

四  本件処分の相当性(無効原因の2)

1  原告柳沢について

(一) 原告柳沢の本件行為への参加の有無

(証拠略)(本件行為の配置図)、(証拠略)(写真)、(証拠略)(本件行為参加者及び原告柳沢の各陳述書。(証拠略))、(証拠略)(会議室使用許可申請書)、原告福田(証拠略)、同柳沢(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、本件行為には、原告柳沢を除く原告ら一〇名及び運転所分会組合員である松井克訓、田中直宏、松本貢、相川功、今井誠、木部知彦、山本博の七名の合計一七名が参加したこと(山本博は後記のとおり午後六時二五分ころに途中退席)、原告柳沢は、当日午後六時三〇分ころから高崎地本(国鉄労働会館)で開かれた高崎地本高操支部青年部常任委員会に出席するため、同じ運転所分会所属の高橋徹とともに、勤務終了後直接右会館へ向かったため、本件行為に参加できなかったことがそれぞれ認められる。

右認定に反し、承認猪瀬(証拠略)及び同山崎(証拠略)は原告柳沢が本件行為に参加していた旨供述するので、その信用性について検討するに、いずれも本件行為に立ち会ったわずか三〇分足らずの間に、原告福田らと押し問答しながら、事務室の入口付近にかたまっていた他の十数人の参加者を現認したというものであり、状況からみて参加者全員を現認できるとは考えにくいこと、両証人は、原告福田らが退室した直後に参加者の指名、人数を確認したと認められるが、後記認定のとおり、証人猪瀬は六時半から用事があり、証人山崎は原告福田らがいる時に来客の電話があり、同室にその客が来ることになっていたのであるから、両証人が原告福田らの退室後に参加者の記憶を喚起して確認しあう時間は極めて短いものであったと考えられること(なお、(人証略)は、当日のうちに、来客を待たせて、参加者を猪瀬と確認しあった旨供述するのに対し、(人証略)は、参加者を山崎と確認しあったのは翌日の朝であった旨供述し、この点に食い違いがある。)、にもかかわらず、両証人は参加者が氏名不詳者一名を含めて一三名であったと断言していること、また、両証人が本件行為直後に参加者を現認した際、一名の氏名について食い違いが生じたため、一三名の参加を現認しながら一二名(原告ら一一名及び松井克訓)の処分にとどまったこと、他方、原告柳沢の陳述書(証拠略)と同人の供述は、当日の同人の行動について、「勤務終了後の一七時四〇分ころ、同じ運転所分会に所属する高橋徹とともに貨車解体班詰所を徒歩で出発して同四七分ころ最寄りの西上正六のバス停に着き、同五三分通過のバスに乗って約一〇分で高崎駅西口に着き、同所で食事をした後、同駅から歩いて五、六分の高崎地本(国鉄労働会館)に一八時二五分ころに着いた。すぐに会議が始まり、原告柳沢は同会議で報告を行った。本件行為に参加した山本博は、運転所からバイクで会議に駆けつけたが少し遅れ、一八時四〇分ころ同委員会に出席した。会議終了後、原告柳沢は靴が見当たらずに捜していたため遅れ、二一時四四分発の信越本件下り列車で右高橋と一緒に帰宅した。」旨を具体的、詳細に供述し、他の関係各証拠(詰所と高崎駅の位置関係につき(証拠略)、山本の行動につき(証拠略)、高橋の行動につき(証拠略)、バス発着時刻につき(証拠略))ともよく符合していることなどに照らすと、前記両証人の証言をたやすく措信することはできない。

なお、原告柳沢は、本件処分の発令日に、現認者はだれかを聞いただけで、特に異議を述べずに通知を受け取ったことが認められるが(人証略)、これは、原告柳沢が、処分通知のために所長室に呼ばれて廊下で待機している間に、自分が参加していない本件行為が発令理由であることを聞き知り、その場にいた原告田淵と同近江に相談したところ、両名から、高崎地本に相談する必要があるから、その場ではとりあえず発令通知を受け取り現認者と時間を確認しておくようにとの指示を受けたためこれに従い、その場では特に異議を述べなかったものであると認められるから(証拠略)、右認定を左右するものではない。

(二) 処分の有効性

以上によれば、原告柳沢に対する厳重注意処分には、発令事由に該当する事実が認められないから、処分の相当性を判断するまでもなく無効なものというべきである。

2  柳沢を除くその余の原告らについて

(一) 本件行為の具体的態様

柳沢を除く原告らに対する本件処分事由の存否を判断する前提として、本件行為における原告らの具体的言動及びこれに対する猪瀬助役らの対応を検討するに、前記第二の二記載の争いのない事実に(証拠略)(録音テープ反訳文)(証拠・人証略)の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

本件行為に先立つ一〇月三日午後六時ころ、原告坂庭らは、団体交渉を申入れるため申入れ書(証拠略)を持参して所長室に行ったが、所長は留守であったため、所長が職場交渉を事実上拒む態度をとっていると判断した坂庭らは、本件当日、事前連絡をせずに所長室に行った。しかし、所長は留守であり、所長室の隣の事務室(証拠略)の電気がついていたため、原告生方がドアをノックしたが応答がなく、同人が「失礼します」といいながらドアを開け、同人を先頭に一七名が狭い通路を列になって入室した。同室には山崎助役が一番奥の机で一人で電話をしており、入室してきた原告田淵、坂庭らと目が合ったが、そのまま電話の対応を続けていたので、原告福田、坂庭、田淵が同助役から少し離れて向き合い、その他の参加者は原告福田らの後ろから入口付近にかたまって、右助役の電話が終わるのを待っていた。しばらくすると猪瀬助役が奥の非常口から室内に入ってきて、原告福田らと向き合う形になったので、坂庭が「いいとこへきた。」と言って、一三の項目について話を聞いてもらいたい旨を申入れたが、これに対する同助役の応答は、「話、ないんだよ。」「現場にはないんだよ。」「駄目なんだよ。」というもので、あいまいな表現で現場の話合いができないことを説明しようとし、原告福田、坂庭がその理由を詰問するのに対して、「ない理由って言えば高崎運行部の指令です。」「理由って言うのは話し合いをしてはいけません、つうことさ。」「結局上からの会ってはいけないと言うことです。」等の押し問答が繰り返された後、原告福田、坂庭が労組法にのっとれば話合いができるはずだと詰め寄ると、「いずれにしても俺んちは会えねえから。」「そうゆう問題点があったら上に上げて下さい。」等の応答があるだけで話が噛み合わなかった。業をにやした原告福田は猪瀬助役に対し、「首席はなに勉強しているんだよ。いいか、気動車の構造もわかんねえ、説明できねえ、俺が聞いたら。それで管理者とすればな、労組法の問題、法的な問題聞いてもわかんねえ、古くはだよ労災問題聞いてもわかんねえ、あんたみたいのが何で首席やってられるんだよ、ヨォ。」「あんた席譲れよ。」「ヨォ、今ね、運転区でどこの首席が一番飛び抜けてねえ、あれだか知っている、噂で、俺、あっちこっち飛ばされてるから分かったんだよねえ、猪瀬さんって有名だい、アハハッ。有能で有能で、労組法七条って言えば管理権なんてちゃんと言うんだから。」「大したもんだい、そういう管理者がな、まじめに言うけどな、JR背負っているんだからね、情けねえんだよ、俺から言わせりゃ、つぶす為にやっているんか、あんたは。」「だって仕事のこともわかんねえだろう。あんた俺らが去年、ここで教育を受けたときなんつったんだい。あの機関車の聞いたらディーゼル機関車じゃね、気動車聞いたら機関車か、説明できなくてけえっちまったじゃねえ、怒って。」などと言った。続いて、同助役に対し、「職場における団体交渉については上から言われているので拒否しますって言わあいいがな。」「言えってんだよ。自分の口で。」などと申し向けて、団体交渉を拒否する旨を同助役に直接言わせようとしたが、同助役は「要するに交渉というものはないと言うことです。」という程度の説明をするにとどまった。その後、同助役が高崎運行部へ行ってほしい旨の発言をした言葉尻をとらえて、直接高崎運行部へ交渉に言ってもよいのかの問答をしていたが、同助役が「俺もチョット用事があるんでさ、六時半ごろから。」と言うと、氏名不詳者から「大丈夫だ、まだ一〇分もあら。」との発言があった後、原告福田、坂庭と同助役の間で、申し入れ書を受け取れ、受け取れないの押し問答があり(同助役は、受け取れない旨の発言を一二回行った。)、やがて同助役に対し、柳井が「あんた六時半から用事があるんだろう。」と言い、原告福田も「首席早く行き~。話ねえんなら帰れ、早く。」と言って、山崎助役との問答に移った。猪瀬助役は帰る支度を始めたが、自分の机を片づけるなどして帰ろうとせず、原告福田らが退室するまで部屋に残った。原告福田、坂庭らは山崎助役に対して別件の処分理由等を問い質し、同助役が理由は知らない等と答えている間に同助役に電話が入り、「お客さんがきちゃった。」と同助役が言うと、坂庭が「また後で。」と言い残し、申入れ書を入れた封書を山崎助役の机の上に置いて、全員が退室した。退室時間は午後六時三二分ころであった。

(二) 処分事由の存否

(1) 「高崎運転所事務室内に無断で立ち入る」(以下「無断入室」という。)事実の存否

本件行為のあった高崎運転所事務室が所長室に続く部屋であり(証拠略)、所長を補佐する猪瀬首席助役や事務関係を総括する山崎事務助役らが執務する、高崎運転所の中枢となる部屋であること、(証拠・人証略)によれば、本件に先立つ一〇月五日に、原告坂庭が猪瀬助役に交渉に行くと電話したところ、「上部より協約が切れているので、交渉は一切するなと言われている」旨を伝えてあったと認められるにもかかわらず、事前連絡なしに事務室に行ったこと、従前は、数名が所長室において話し合う程度であったのに対し、本件は一七名で入室したこと((証拠略)には、同年六月二四日の一八時四〇分から、原告田淵、坂庭ら一八名が所長室において、猪瀬助役と山崎助役に会い、組合バッチ着用による処分を抗議する話合いを七分間行った旨の記載があるが、(人証略)によれば、当日は、二、三名の代表者が事務室内に入り両助役とやりとりがあったが、他のメンバーは廊下で待機していたものと認められる。)などの事情に、前記三のとおり、本件行為は正当な団体交渉の申入れとは認められないことを併せ考えると、本件行為は、多数で「押し掛ける」態様で行われたものであって、「正当な理由なく」入室したという意味で、「無断」で入室したものと評価することができる。

もっとも、前記認定のとおり、原告福田らの入室時の態度は、常識的な範囲内のものであったこと、前記三1認定のとおり、従前、旧協約下では、運転所事務室の続き間である所長室で、事前の連絡なしに所長や猪瀬助役らと同じ時間帯に話合いを行っていた経緯があったこと等に照らすと、無断入室自体の非違性は、さほど大きくないものということができる。

(2) 「再三にわたる退去通告にも従わなかった」(以下「不退去」という。)事実の存否

前記認定のとおり、本件行為においては、猪瀬首席助役と山崎助役が、職場では団体交渉ができない旨を「現場には話合いはない」等の表現で説明しようとし、原告福田らがその理由の説明を求めて押し問答があったほか、申入れ書の受取をめぐる押し問答があったものの、両助役が原告福田らに退室を求める趣旨の明確な発言はなく、かえって、猪瀬助役が六時半に用事があることを告げたことに応じて、六時三二分には退室していることが認められ、これに反する証人猪瀬(証拠略)及び同山崎(証拠略)の各証言は、甲八四(録音テープ反訳文)に照らして措信しがたい。してみると、原告福田らには「不退去」の事実を認めることはできない。

(3) (原告福田について)「首席助役を誹謗した」(以下「誹謗」という。)の事実の存否

前記認定の原告福田の発言は、その内容が事実であるか否かを問わず、猪瀬首席助役を誹謗したものというべきであり、原告福田についての「誹謗」の事実はあったと認められる。

(三)処分の相当性

以上のとおり、(一)認定の具体的態様に照らせば、本件処分の各事由のうち、原告福田の「誹謗」の事実は認められ、柳沢を除く原告らの「無断入室」と評価される事実も認められるが、「不退去」の事実は認めることができない。そこで、「不退去」の事実がないことが、本件行為の評価にいかなる影響を与えるか、また、原告福田の「誹謗」を評価するにあたっては、高崎運行部(被告会社)側の態度を相関的に考慮する必要はないかを検討した上、本件処分の相当性を判断することとする。

(1) 「不退去」の事実が本件行為の評価に与える重要性

本件行為が、本件各処分に値する非違性ありと評価されるにあたり、「不退去」の事実がどの程度の重要性を有したかを判断するには、被告会社において「不退去」という事実がどのような意味をもつかを検討する必要がある。被告会社における人事考課の資料となる前記人事管理台帳の記入要領(証拠略)には、考課項目の一つである「執務態度」の評定の記載につき、「上司の指示・命令に従い、職場規律の維持に努めたか」という観点が例示されていること及び昭和六三年三月一六日付けで総務課長から各現場長にあてた社員人事考課表等の作成要領(甲一三九。昭和六二年四月一日から昭和六三年三月三一日までを調査対象期間とする。)によれば、高崎運行部における人事考課一〇項目のうち、「規律性」の項目では「日常勤務において、服務規律を守り、執務態度よく、職場秩序の維持向上に努め、他の者の模範となるよう行動したか」が評価要素とされ、「協調性」の項目では「上司を助け同僚・部下のコミュニケーションのパイプ役を果たし、組織の一員として良好な人間関係を保ったか」が評価要素とされていること等をみれば、被告会社の人事考課においては、職場規律や協調性にかなりの比重(人事考課一〇項目のうち二項目)が置かれていると認められる。右の事情に、「不退去」の事実が「再三にわたる退去命令に従わなかった」という明確な職場規律違反であるという意味で他の事実よりも重大であることを併せ考えると、本件行為を総合的に評価して「社員としての自覚に欠ける」と判断されるにあたっては、「不退去」の事実は重大な影響を与えたものと考えるのが合理的である。

(2) 高崎運行部側の態度との相関的評価

原告福田らの言動が穏当を欠き、正当な組合活動ともいえないことは前記のとおりであるが、他方、高崎運行部も、本件行為に際しては、従前の対応を変更し、職場で事実上行われてきた話合いを拒否する方針で臨んだものと認められる(人証略)。そして、本件行為における最初の押し問答において、「社員の話ぐらい聞けよな。」「駄目なんだよ。」「話し合いも出来ねん?話も聞いてくんねん。」「うん。」「そんなんがあるかいな。」「そんな会社があるんきゃっ、社員の話を。」というやりとりがあったこと(証拠略)に照らすと、高崎運行部の右のような態度が、原告福田らの態度を必要以上に硬化させた一因であったと考えることができ、右事情は、原告福田の「誹謗」を評価するあたって斟酌されるべきである。

(3) 原告坂庭ら(柳沢を除く)に対する「厳重注意」の相当性

原告坂庭ら(柳沢を除く)に対する「厳重注意」の事由のうち、前記(1)のとおり、重大な評価の要素となる「不退去」の事実について誤認があり、もう一つの事由である「無断入室」については、前記(二)(1)のとおり、その非違性が低いことを考慮すれば、本件厳重注意は著しく公正さを欠き、相当性がないものといわざるをえない。そして、原告坂庭らには、「不退去」の事実がなかったことを明らかにするという意味で、右処分は、無効とされるべきである。

(4) 原告福田に対する「訓告」の相当性

原告福田に対する本件「訓告」の事由のうち、「誹謗」の内容は前記のとおり穏当を欠くものであり、職場規律や協調性を重視する被告会社においては「社員としての自覚に欠ける」と評価される上で重要な要素になると考えられる。しかし右「誹謗」は口頭の発言であり、かつ、その事情を知る者らのみに認識されたにすぎないものであったこと、前記(1)検討のとおり、行動による明確な規律違反となる「不退去」の事実はより重大であって、原告福田に対する処分においても、「不退去」の事実が決定的な影響を与えたものと考えられること、「誹謗」に至った背景に前記(2)の事情も認められること及び「無断入室」については、前記(二)(1)のとおり、その非違性が低いことを総合すれば、原告福田に対する本件訓告も公正さを欠く不相当なものといわざるをえず、少なくとも原告福田には、「不退去」の事実がなかったことを明らかにするという意味で、右処分は無効とされるべきである。

五  原告柳沢に対する不法行為の成否

1  柳沢に対する加害行為の主体

柳沢に対する本件処分は、同人に、本来生じるべきでない人事考課上の不利益を生じさせたのであるから、同人に対する権利侵害の性質を有することは明らかである。

ところで、本件行為は、高崎運行部長・原山清己名で発令されたものであるが、その性質は企業組織の人事考課上の不利益措置であり、そのような措置をとりうる根拠は、被告会社が、経営目的を効果的に達成しうるように企業秩序を維持し、構成員に対してこれに服することを求めうる点にあり、被告原山は、高崎運行部長という被告会社の機関として、被告会社の右権能を、代表者である社長に代行して行使したものである((人証略)。なお、同証人によれば、本件処分は被告会社本社に報告し了解を得たことが認められる。)。

したがって、本件行為によって柳沢に対する権利侵害を惹起した主体は被告会社自体であり、被告原山個人の責任を論じる余地はないと解するのが相当である。

2  高崎運行部の過失

関係各証拠によれば、本件処分は次のような経緯で発令されたものと認められる。

本件行為の翌日、西澤高崎運転所長は猪瀬・山崎両助役から書面による報告を受けたが、その内容は本件発令の事由となった事実が記載され(不退去については、猪瀬助役が「出ていけ」と言ったこと等が記載されていた。(人証略)、現認した一二名の氏名が記載され氏名不詳者一名とされていた。確認方法は、参加者が退室した後に両助役がメモするという方法であったが、二人の助役が確認しているので、西澤運転所長はその内容を信用し、右報告書をそのまま高崎運行部の運輸課に持参した(人証略)。運輸課の梅本課長補佐から右の報告を受けた総務課では、同年一〇月二〇日に賞罰担当の石原首席が猪瀬助役から事情聴取した結果、梅本課長補佐の報告と同旨の事実を確認したため、両助役の当初の報告書の内容がほぼそのまま処分事由となり、本件処分が発令された(人証略)。

以上の経緯によれば、本件処分が、猪瀬・山崎両助役の報告ないし事情聴取だけに基づいて発令されたことは明らかであるが、本件行為の現認方法には前記四1(一)のような不確実さがあったことを両助役は考えることができたはずであり、また、両助役の報告書自体に一名の氏名不詳者が記載されていたのであるから、報告を受けた西澤運転所長、高崎運行部運輸課、同総務課は、本件行為の参加者が多勢であることに照らして、現認の誤りがありうることを予測できたはずである。そして、本件行為に参加したか否かということは、参加者の行為をどう評価するかという裁量的な判断事項とは異なり、本人に確認することによって容易に判明するのであるから、本件処分が各人の人事考課に及ぼす影響を考えると、以上の発令過程のいずれかの段階で、発令前に各本人に参加の有無を確認する手続をとるべきであったといわざるをえない。これを発令に関与した各個人の過失と評価することは相当でないが、発令の経緯全体を評価して、高崎運行部の組織体としての過失があったものと解するのが相当である。

3  損害

原告柳沢は、本件処分によって精神的苦痛を受けたものと認められ(証拠略)、かつ、この問題を一一月二六日の団体交渉において高崎地本から指摘された高崎運行部は、再調査を約束しながら(証拠略)、有効な確認の手続を行わなかったため(人証略)、これが右損害の拡大をもたらしたものと認められることを総合すると、右精神的損害を金銭に見積もれば金二〇万円と評価するのが相当である。

第四結論

以上によれば、本件各処分の無効確認を求め、被告会社が、不法行為に基づく損害賠償(民法七〇九条)として、原告柳沢に対し金二〇万円の支払いを求める限度で、原告らの請求には理由がある。なお、仮執行の宣言は相当でないのでこれを付さないこととする。

(裁判長裁判官 楠賢二 裁判官 高野芳久 裁判官 中島肇)

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